新聞のコラムを読む

社会の窓は新聞による。これは母方の祖父が遺した言葉です。明治の半ば生まれの祖父の世代にとっては、この世界で起こる事象を知るための手段としては新聞や書籍に頼る他は手段が無く、けだし名言だと思うのです。片や現代。活字離れが急速に進んでいることに異議を唱える人は居ないでしょう。しかし、現代でも文字の文化に対する憧れは完全には消え去ってはいません。要するに形を変えて、この社会のあちらこちらに存在しているのです。
私の最近の日課は新聞のコラムに目を通し、それを文章として打ち込むことに励んでいます。「今さら新聞なんて」。こう思う人も居られることでしょう。しかし、文明開化から既に一世紀半が過ぎた現在でも、購読者数こそ確かに減少はしているものの、現実に世の中に対する影響力は保持していることを軽く考えることは禁物です。その間に培われた様々な智の蓄積はいろんな意味で社会へ貢献していることを忘れてはならないのです。その一例が新聞の顔である社説です。
言うまでもなく新聞の価値は政治面と社会面にあります。娯楽性を追究したスポーツ新聞の類でさえ、社会で実際に起きた出来事を大きく報じることもあり、あらゆる階層の読者にとっても深く意識しなくても重要であるということは明白な事実なのです。私も以前は社会面、それも訃報の欄から読み始めていましたが、文章を勉強する手段として、新聞のコラムを書き写すという作業に行き着いたのでした。
まず字数が制限されているので、構成力が必要であること。だらだらと長い文章を書くことは時間と根気さえあれば誰にでもできることですが、要約して世の人々の共感を生む、“名文”を作成するのにはそれなりの知識と表現力が必要となります。さらに同一文でなるべく同じ表現を繰り返さないこと。これも重要なことで、くどくどと同じ字句が連なるとどうしても文章が冗長に成ってしまいがちになるのです。読んでくれる人にとってはこれは避けたい事柄です。そして時機を確実に掴んだ話題性に富むこと。これは読者の知りたい事柄をタイムリーに選ばなければならないので、書き手の選択するセンスが問われるのです。ここが肝要ですね。テレビニュースがそうであるように新聞のコラムも見比べてみると同一のネタが同一の日付で書かれていることが意外と多い。これは社会性を鑑みてのこの業界の独特の統一ルール(あるいはそれに近い物)の影響ももちろんあるでしょう。でもそこは社会の公器。それぞれの社風に沿った論調で鋭く解析して読者を唸らせてきました。舌鋒鋭く、ある時は批判、またある時は擁護して、社会の様々な出来事をわかりやすく解説して来た実績が、それぞれの新聞のコラムにはありました。その伝統は現在にもつながっているのです。
もちろん新聞にも誤謬はあります。時の政治力に影響されて、現在では恥ずべき行為とされている手段を実施したことも過去には確かにありました。これは別に当時の社会情勢を庇護することでは決してありませんが、“必要”とされてきた社会的な認識が当時と現在とでは異なっていることを看過すべきではないこと忘れてはならないでしょうか。私が学生だった頃、必要に迫られて過去の新聞記事を苦労して探した(その当時はネットはまだ存在していません)ことがありましたが、使用されている漢字も書体も語句も四角四面であった、ということをよく覚えているのです。単純に比較はできないでしょうが、これは文語と口語の違いのように思えました。典籍を基に日々学問という精進に明け暮れた世代の青春と、テキストを片手に効率良く受験勉強に明け暮れた世代の青春との差異と言えば理解していただけるでしょうか。大仰な表現ではありますが、要するに新聞自体も時代と共に変化し続けているということなのですね。こういう図式を頭の隅に入れておいて、図分なりの“比較人類学”を構築することも意外と楽しいことなのですけれど。
さて、これからが本文です。書き写す行為について私は自分なりのルールを設けて実施しています。時間を記録する。誤字脱字を徹底的に学習し直し、完璧な書き方を覚える。新たな用語をマークして、必要に応じてマスターする。そして新聞独特の書き方と、清書する前の文章とを比較して、その誤りを見出して、善きことを学び悪しきことを改めるなどなどを。
目的を持ってことに当たれば存外の発見につながることも実に多い。何も文章の書き写しは今に始まったことではありませんが、意識・無意識によらずこの私の文章の表現力の助長に役立ったことには間違いはありません。こういう、“活きた”勉強法が社会に出てどれだけ役に立ったことか。形に捉われない勉強を生み出した爽快感を現在でも常に感じています。これは私だけの誇りなのですよね。
実際に画面に向き合って出来上がった清書前の文章と、原文を比較する時は現在でも緊張するのですが。さまざまな試行錯誤を経て自分なりに工夫した文章の比較方法の判定が出る時が来ました。さて、今回は…。「99.6%」でした。惜しい。漢字の誤用ではなく、( )類の使い分けのミスでいたが、未だに満点の快感には遭遇できないことが実に残念です。常にパーフェクトとなることが理想ですけど、遠くて近いような気がしますよ。
最後に。著作権の侵害に発展するような行為にならないように、理性を以て行うことがこの種の訓練方法に不可欠であることを書き記しておきます。

LITALICOワンダー